プロフィール

略歴

大学卒業後、洋服のメーカーの起業を目指し3年間アパレルで修行。その後ヨーロッパをひたすら回り帰国後独立。しかし経営基盤が弱く5年で失敗。鹿児島に戻り兄の不動産会社に勤務。3年間の修行の後独立。25年間住宅会社を順調に続けたがあることをきっかけに家づくりそのものの考え方を変えたやり方を確立して約9年、現在に至る。

幼少期~学生時代

私の生まれた時代はまだ戦後5年で親は満州から引き上げてきて農業しかやることはなく本当に貧乏な生活だった。その頃叔母より養子の話があり何かトンネルの向こうに明るい別天地が有り希望の光が見えた感じですぐに養子に行くことを自分で決めた。そのとき6歳だった。そして鹿児島県の中でも田舎といわれるところから熊本市の方に移り住んだ。公務員の親の元で何の苦労もなく進学校の高校に進んだが、何せ勉強嫌いで授業中いつも寝ているので席は必ず一番前の中央だった。卒業アルバムの中でも私だけは寝ている。そんな自分なので大学も勉強よりもアルバイトと遊ぶのが仕事だった。 その後就職することになるのだが、職場で一つの決断があった。都会の大学を出た同僚といろんな面での差が歴然としていたのだった。打ちのめされた結果決断したのが3年で起業する事だったがこれも自分の甘さ故挫折してしまった。

現在の道へ進んだきっかけ

大学卒業後3年で起業したわけだが、総合的な経営の知識が乏しく売れれば儲かるという頭しかなかった。ところが売れれば売れるほど資金繰りで苦しくなった。そしてどうしようもなくなり故郷の鹿児島に帰ることに。しかし土地勘がない、言葉が半分分からない、同級生もいないなどどうしようもなく誘われるまま兄の不動産会社に勤務する事に。ここでも3年の修行後不動産業として独立するわけだが、ここで以前ヨーロッパを遊んで回ったことが役に立つこととなった。土地を探す若い人たちに「こんな家をつくったらどう」とヨーロッパで見てきた家の話が非常にうけたのだった .しかし建築の技術は何も無い。造ってほしい、という人たちは増え始めた。これは以前洋服の企画をやっていたときのものを作り上げていくという喜びと重なってきた。なにか作り上げていくそれが自分には楽しいのだと気づき住宅会社を作る決心をした。

覚悟の瞬間

32歳の時不動産業と住宅会社を始めることに。その後20年くらいは出す企画は全て順調に社会に受け入れられこれこそ一生の仕事、と感じていた。しかし20年くらい経ったとき転機が訪れた。この家を造る事は大好きなのに自分のやりたくないことが多いことに「これが一生の天職?」と思うようになった。クレーム産業といわれる住宅業界にあっていつの間にか社長である私はクレームかどうか分からないような小さな事でいつも施主に「そうでしたか、すみません」と言わないといけない、又自分はプロとして仕事をしているのに営業歴1年の実績でも負けることの無いはずの他社の新米営業マンに仕事を持って行かれることがたまにとはいえ出てきた。まだまだありますが「一体これは何?」こんな事をするために自分はこの仕事をしているのでは無い、自分への怒りとこの業界のやり方への失望・・・自分はなんとしてもこの業界のやり方とは違う真に消費者とウィンウィンの関係を構築出来る仕組みを考えたいと強く思ったのが私のターニングポイントだった。

そして私の選んだ道は同じ建築業だがやり方、方法が全く違う「CMシステム」というアメリカで生まれた本当に合理的で施主にも施工業者にも良い、ウィンウィンの関係で仕事ができるやりかただった。だが日本人には理解しがたいところの多いやり方だったのでなかなか定着させるのは難しかった。2年がかりで右往左往しながら何人かの方々にモニターになっていただき現在がある。途中日本中にこのシステムを広げようということで有志が集まり東京で会社を作りスタートはしたもののやはり私がいつもいないと広げていくのは難しく10社ほどでスタートしたが数年で解散した。そのようなことを経験しながら現在は鹿児島発信で神奈川、東京、千葉方面での本部活動を始めている。これが定着したら大阪を中心にした関西支部を立ち上げてあとは自然の流れに任せようと考えている。これが「CMシステム全国家づくりネット」である。このネットに加入しなくても私とお付き合いのあった方で私と同じやり方を始められた方々も各地に増えてきました。

又、5年ほど前になるだろうか? 私は何も考えずに自然にいわゆる「性能の高い家」をつくっていたのだが、これを分かっていない住宅のプロがあまりにも多すぎる事に気付き、これでは消費者にとって良い方向には進まない、という思いが強くなり(社)セルフエナジーハウス研究会を立ち上げて日本各地の進んだ考え方の人々と意見を交換しながらもっとこの日本で、特に東京以西の「蒸暑地域」の家づくりにしっかりと合った住宅づくりを啓蒙、広げていかないといけない、という思いが強くなった。活動としてこの5年間でドイツには3回ほど行きドイツ政府の計らいにより各研究機関での勉強や民間の住宅会社とのコミュニケーションは今の住宅の作り方にも大きく貢献している。

そして今、私は皆様のおかげで手にすることのできたこの大事な情報を確実な形にしてこれからの建築業界をになう若い人たちに伝えていきたいと考えている。

上野 勝

 

覚悟の瞬間 

kakugonotoki

 

 

マイベストプロ

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~上野 勝プロをご紹介します~

 
お客様の立場に立った失敗しない家づくりをアドバイスする家づくりのプロ

CMシステムでは家づくりにかかるすべての原価を公開します。

 「家を建てることは、一生で一番高い買い物かもしれません。だからこそ、失敗しない納得のいく家を建ててほしい」CMシステム鹿児島の上野勝さんは家づくりに携わって33年のベテランです。どうしたらもっとお客様の立場で、性能の高い、資産価値の落ちない家が建てられるかと考えたのが「CMシステム」での家造りです。

 家づくりに本当に必要なものは何か。悩んだ末にたどり着いたのが家づくりのすべてをお客様自身が勉強し知ってもらうことでした。それから一緒に家を作ってほしいというお客様には、土地選びから完成までサポート。ゼロから施主と一緒に家を作り上げていく方法です。

 そのためには、まずすべてをオープンにして信頼してもらうこと。CMシステムではトラブルやお金の失敗を防ぐためにも建築費や諸経費まで原価を公開します。原価を公開することで、正直に話すことができ深くお客様と付き合えるようになりました。お客様も良いものを使えば価格が上がるのが目に見えてわかる分、納得して理想の家に近づき愛着を持ってくれると言います。

 一組のお客様とじっくり向き合い家づくりをしているので鹿児島では年間10棟ほどしか建てられません。しかし原価を公開するからにはコストを下げる事を目指さなければなりません。徹底したコスト削減のために会社を縮小し、営業は行わない。モデルハウスを建てたり分譲地を購入することもしません。会社は最低必要な少人数のスタッフで運営し、設計士やインテリアコーディネーターなどその道のプロを、その都度外部から集結させることで、こだわり抜いた家を建てることができるそうです。

いわゆる、「プロジェクトマネージメント」を採用しているので基本的にはどんな地域の家づくりでもお手伝いが出来るそうです。2015年から関東地方でもCMシステムでの家づくりが出来る体制が整ったということです。